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狭くて深くて浅い言葉たち

竜とそばかすの姫 「理解者」

日本のアニメ映画って改めてすごいな

率直で簡単だけど、本当にそう感じた。

派手で綺麗でわかりやすい、だから子供が観て面白い。

時代背景や心情やメッセージ性が表現されてる、だから大人が観て面白い。

どの世代の人が劇場に足を運んでも絶対にハマる作品だなって思う。

 

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個人的にこの作品のテーマは「知る、知らない」

「現実は善で虚構(ネット世界)は悪」みたいな決定的な違いがあるのではなく

「知ることと知らないこと」その差だけが何かを変えていく作品に思えた。

もすこし平たくすると

現実世界の友人は自分の事を理解してくれていて、虚構世界の友人は自分の事を理解していない、、、、、そういう線引きではないんだなと。

どうしても「現実とSNS」の境界線って「真実と偽り」のように解釈してしまいがちだけど、そうではないのかもしれないと思う。

自分が自分を表現できてさえいれば、きっとどこのコミュニティに繋がりを持つ友人だとしても自分を理解してくれると信じたくなった。

そして自分をうまく表現できていなくても、良き理解者はきっとどこかにいるんだということも信じたくなった。

 

映画全体を振り返っても、そこに矛盾点はないと思う。

現実世界でいえばラストのシーンで小学校に集まってくれたメンバー(クラスメイト数人とおばさん軍団)と父親が、鈴を理解してくれる人たち。

あの場にわざわざ人を集結させた意味は「理解者」の表現にあるのではないかなと感じた。

流れという意味ではクラスメイトだけがいれば成り立つシーンなのにおばさん軍団も来てくれたのは、鈴の理解者という意味合いがあったような気がする。

虚構世界でいえば、被るけどおばさん軍団としのぶくんがベルを理解してくれる人たち。

彼らはベルとしてのパフォーマンスを見ただけでベルは鈴だと見抜いた。

そして、ベルが鈴をさらけ出したことでAs(Uの住人達)や竜もベルが何者なのかを理解した。

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(この世界線だけがネットのイメージとして独り歩きしすぎている気がする)

 

わかっている人はちゃんとわかっているし、逆にわかっていない人は何もわかってない。

現実だから、虚構だからという話ではなく。

意識的に自分の意志を人に伝えることも大事なことだろうし、でも本心をうまく言えなくても、本当に近くにいてくれる人たちは良き理解者として傍にいてくれるのかなと感じたしそうであってほしい。

 

 

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あとはおまけの話になるんだけど、いつの時代も芸術や文化で伝えるべきことって変わらないのかなと感じた。

おそらく多くの人が気づいただろうけどベルと竜の関係性は「美女と野獣」と同一。

なんなら、ベルという名前まで一緒だし。

そして細田守監督のネット系の「サマーウォーズ」以来10年ぶりで、10年間隔でネットをモチーフにした作品を出しているらしい。

ちなみに20年前はというと「デジモンアドベンチャー ぼくらのウォーゲーム」。

wikipedia参照

『デジタルワールドから子供達が帰ってきて数か月経った2000年の春休み。突如ネットに出現したデジタマから生まれた新種デジモンは、ネットに繋がるコンピュータのデータを食い荒らし、様々な機関を暴走させながら急速に進化。

世界を混乱に陥らせる謎の新種デジモンを止めるため、事態に気づいた太一、光子郎の二人は選ばれし子供達を集め、再び戦いへと乗り出すことになる。』

 

この10年間はネット環境の完備で生活スタイルが大きく変わった。

でも芸術として継承すべきものは変わらないのかもしれないなってことを「美女と野獣」との連想で感じたし

大衆の生活が変わる前から細田守監督は今の世界観を予想してたのかもしれないなって思わされた。

 

とてもいい映画でした。