24時間テレビ 「障害」「差別」「ゴミ」問題がなくならない理由
「障害」「差別」「エコ」
すごくざっくりとした質問をします。
この3つについてみなさんはどう思いますか?
分野こそ別々の言葉ですが、根本的な問題や解決の糸口は一緒ではないでしょうか。
最近私がずっと考えていた、ひとつの重大テーマです。
24時間テレビにて、障害を抱えた娘を持つお母さんがこのような言葉を投げかけていました。
「まだまだ障害を抱えた人たちへの偏見が多いように感じ、それを改善していきたいと思っている。」
特に棘もなくまさにその通りといった言葉ですが、私は違和感を感じました。
障害という括りさえなければ、「普通の人だけどちょっとだけ周囲とは違うかな」程度の認識で障害を抱える人たちと接することができるのではないか。
メディアに訴えかけて偏見を改善するよりも、メディアへの露出を抑えて偏見すらなくすほうが早いのではないか。
小学校中学校くらいの時期に障害や差別など諸問題の教育は済ませ、メディアで必要以上に報道せず個性に対する意識の差を広げないほうがいいのではないか。
こんなことを番組終了後からかなり長い時間考えています。
もちろん「障害」という2文字を使用することで、障害を持たない人とのハンデを埋めるための保障は受けられます。
(公共交通機関の割引なんかは私たちも目にする機会が多いのではないでしょうか。)
ただ、その2文字があるからこそ障害を抱える人とそうでない人の差はどんどん乖離してしまうような気もします。
年配の方に座席を譲るのすら躊躇してしまうこともありますが、まずはそこからでも優しい人になりたいです、、
私自身、永瀬廉さんのプロジェクトはすごく感動しました。
24時間テレビの企画を批判するようなことを書いてしまいましたが
心温まる企画を観て、優しくなれる人もたくさんいると思います。
(私もちょっとだけ優しい人にこれから変われれば嬉しいです)
でも私は何よりの解決の糸口は、敢えてルールや枠組みを作らず「差を生まないこと」にあると思っています。
「知らぬが仏」という言葉を借りますが、必要以上に人同士の差を認識しないほうがいいこともあるような気がします。
何も知らないまま育ったり、障害の程度で学級を分けたりせず差を生まなければいじめが多発しそうでそれはそれで怖いです。
小学校はうんこするだけで悪者扱いされるような軍団だった記憶がありますし、、
波風立たない良い解決策を探すのは難しいです。
以前、オーストリアに住む方の話を聞きました。
「日本は入りにくい」と。
例えばゴミの捨て方などルールが多すぎて、海外から入国する人たちは日本の文化に馴染みづらいそうです。
これも結局のところ同じ問題じゃないかなと私は思います。
敢えてルールや専用の用語や枠組みを作らずとも
なんとなくだけどビニール袋って無駄じゃね→エコバック使いますか
って思えれば流れとしてもスムーズですし必要以上のストレスがなさそうです。
たぶん私が少しだけこんなことを考えるようになったのは友達のおかげです。
世界全体で見ればまだまだ同性愛が国として認められていなかったり差別偏見も多いようですが、私の周囲には男性女性どっちも恋愛対象って人が意外に多いです。
最初に聞いたときは少し不思議な感覚でしたが、だからといって自分に影響はないし、その人が幸せになれるならいいねって感じでした。
同性愛もありと聞いて不思議な感覚を持ったのは、それこそ「LGBT」という単語を知っていたからかなと少しだけ思います。
できれば「LGBT」という言葉を知らないでおきたかったです。
もし一文にまとめるなら
何事も偏見持たずに、自分や周りの人たちが幸せになれるよう過ごせたらいいね
ですかね、、!!